絵の上達のために必要な事

漠然とした一般論みたいなものですが、もしよかったらご一読いただけますと幸いです。
萩オス 2025.05.15
誰でも
過去絵でごめんなさい。「ヘルマオン」より、フィービーです。

過去絵でごめんなさい。「ヘルマオン」より、フィービーです。

主体性。幅広い好奇心。素直さ。「絵はコミュニケーション手段の一つである」という意識。努力なしに名声を求めない事。なのかなと私は思います。

絵とは、誰にでも開かれている表現であり、そこに排他性は無い筈です。だからこそ、厳密に言えば資格など必要無いと思います。
※今回pixivFANBOXにも同様の記事を作成していて、内容が重複しています。ご容赦ください。

主体性

これが一番大事なのかなと思います。
「SNSのインフルエンサー的な絵描きさんがこういう記事を書いていたから」という理由だけで、そのHOW TO記事に飛びつく前に、まず「自分自身の目的」を自主的に明確にしてほしいと思います。誰かに与えられた目的ではない、必ず自ら見出す事、主体性が大事です。

私が制作時に何を考えているのかと言うと「目的に応じたもの」それだけを考えています。ムラッ気が多いので、趣味においては様々な興味を持った手法をためしてみますが、仕事においては明確な目標があるので、それを実現させるためにどういう表現をすればいいのかを常に主体的に考えます。
しかし根底にある大事な事は幼少期から一貫していて「生命感のある、硬くない絵である事」「いつの時代でも受け入れられるように常に最新を求める」という二点だけです。

だから、「カラー&ライト」などの教本における手法は、私にとって場に応じた考え方の一つでしかありません。どういう考え方があってもいいと思いますが、ただ一つ思うのは「手法や理論だけに拘って頭でっかちにならないこと」だけです。

たとえば空気遠近法というものがあります。これは大気の層が重なる事によって、遠方であるほど青みがかってコントラストが弱くなる現象を指します。当然これはかなりの距離で生じるのが現実的です。しかし架空のイラストにおいて、本来空気遠近法が適用されないような場面においても意図的に使われる事が多くなりました。本来不自然な描写なのですがなぜそれを使うかと言うと、その方がドラマチックに見える効果が期待できるからです。

ほかにもカラーの使い方や構図の取り方、キャラクターデザインにおいては殊更シルエットが重視され、ある種神聖視されていた時期もありました。しかし、それはケースバイケースであって、ある目的においてあまりに誇張されたシルエットが正しいと言い切れない場面も増えています。目的のために手段があって、手段のために目的があってはいけない。そういうシンプルな事です。そしてその目的を定めるのは自分自身の主体性です。

だからこそ、目的に応じて誰かの教えを乞う事は間違いではありませんが、長期的な目的も漠然としている・自主的な研究や努力もしないうちから著名人のセミナーを受けたり、添削を依頼したり、動画を見たり、あろうことか胡散臭い情報商材を買ってしまうのは、避けた方が良いです。それは短期的な手法や手段を得るためのものであって、長期的な目的に関係ないかもしれませんよ。

そして何よりキツい事を言いますが、実績が漠然としているネットのインフルエンサー的な絵描きさんの方法論を真に受けないでほしいのです。どんなに上手な方であってもです。

「カラー&ライト」にしても「やさしい人物画」にしても古典中の古典ですが、それらが今もって支持されているのは、普遍的に学べる実践的な知識が詰まっているからです。

なので是非、長期的な目的を定め、それに応じた願いを叶える技術を教えてくれる本を自ら探し出し、学んでください。

幅広い好奇心

物心つく前から絵を描いてきて、今も、この先も、趣味において「なぜ絵を描くのか」は、私にとって何時だって流動的で曖昧です。語弊もあるかもしれませんが、これについて一般論的に考えるのは不毛かなとも思います。強いて言えば好奇心の幅が広く「この絵はどうやって描いているのだろう」と考え、ハウツーやTIPSなどの無い時代から、どうやって描かれたのかを追求してきました。
例を言えば絵画から、ミッフィーちゃんまで。

今でこそ、そして趣味で描く絵として「中高年男性」という題材で尖った特徴を持つ私ですが、最初に入社したゲーム会社での採用理由は二つ。「何でも描けそうだから」と「一緒に仕事をしたいと思った」その二つです。後者は今でもとても嬉しく思います。

元々私は小さい頃から友人に感化されて漫画を描いていました。漫画をクラス中、あるいは学年中に見せる事がコミュニケーションの手段となっていたからです。ファンタジー作品を描いていたのですが、兎に角描けないものが多い。壁にぶち当たる事ばかりでした。
そのため「いろんな角度で描けるようになりたい」「色んなものを描けるようになりたい」と、練習し続けた結果、どういうわけだか一枚イラストとコンセプトアート特化の人間になっていました。

それはさておき、私は小さい頃から車や電車や冷蔵庫など、実在する機械が好きでした。また、読むものが無くなったら辞書を読むレベルの本の虫で、かつ、友達と遊ぶ時は外で野山を駆け巡るタイプの子どもでした。とにかくなんにでも興味を示していたなと思います。
それは雑学という形で、なんら漫画にも絵にも関係が無さそうに思いますが、今こうして仕事をしていると、そうして小さい頃に得てきた経験や、高等教育で受けてきた無関係の学問が、絵に深みを付加する大きな礎となっています。

また、様々な画風、様々な意匠から得る物はとても多い。インプットが多ければ多いほど、アウトプットもとても豊かなものになります。
だからこそ、何にでも興味を持った方が色々とお得です。

そして他人からすすめられたものは大体一度は目を通しています。ゲームはさすがにフルプライスだとお金が滅茶苦茶かかるので見逃す事もありますが、映画や漫画やアニメなど、触れられる範囲で触れています。
今流行っているものに敏感であって損も無いですし、仮に自分の趣味に合わなかったとしても「なぜ合わないと思ったのか。でもなぜこれが受け入れられているのか」を考えるだけでも十分な勉強になります。

素直さ

これは安田朗さんがかなり昔に個人サイトで仰られていた事ですが「1000枚描けば変わる」という主旨の事。私はそれを即実行しました。趣味で毎日個人サイトへ投稿する絵を描くのと同時に、コピー用紙ブロックから一枚一枚デッサンからクロッキーまで何でもかんでも一枚に詰め込んで描いていて、結果として1500枚になりました。
元事務屋からするとコピー用紙たったブロック3つ分。きっと、美大で課されるものや、入学するまで課されるものには到底満たない、大したことの無い量や質だと思います。

これもまた受け売りですが「デッサンは師より数」。本式の美術教育を受けていない(受けられなかった)私にとって、これは何よりの励みになりました。だからこそ、1500枚頑張れたというところもあるかもしれません。

漫然と描くのではなく、常に描き終えたら内省を怠らない事。それらが自然に行えるようになった時、いずれ行きたい場所に辿り着いていると思います。  

実績による裏打ちのある、そして説得力のある人の言葉を素直に受け取り、実行する。そして何より、自分の実力を過信せず慢心もせず、素直に見つめる事は大事です。

絵はコミュニケーション手段の一つであるという意識

完全に自己満足で絵を描く。という事もあるかもしれません。しかし少なくとも絵とは本来コミュニケーション手段の一つであり、表現である以上、現実の事柄や社会問題と地続きです。

繰り返しになりますが、絵という山を登るために必要なのは、自主的な目標設定と、基礎を固める事、そして幅広いものへの好奇心です。特に、キャラクターデザインを志望しているのなら、架空のキャラクターではなく、現実に存在する実在人物や人間そのもの、そして人間をとりまく社会に対する愛情と興味が不可欠です。

キャラクターとは、パーツではありません。シルエットでもありません。キャラクターは、現実に存在する人間の理想形であり、「人の似姿」です。人間という存在の本質を捉えて内面を表現する事が出来ないのなら、そのキャラクターはただのパーツの寄せ集めとなってしまい、空虚で、生命感のないものになるでしょう。これはただの私の持論ですが、私はそう信じています。

キャラクターデザインも、キービジュアルの作成も、責任は非常に重いです。その責任を、かかる重圧を感じるからこそ遠慮していたという事もあります。「これでほぼ手に取って貰えるかどうかが決まるのだから、気合を入れて描かなければだめだし、妥協は一切許されない」と考えていました。だからしんどい事は多かったです、が、そのしんどさを苦と思わないほどに楽しかった。だからきっと、私にはこれが得意な事なのだろうな、と今は思います。

さておき、「伝えたい他者」が居る事、「コミュニケーション手段であるという事」を意識しなければ、良いものを作るのは難しくなるでしょう。少なくとも、商業において他者=お客さんの存在は、決して無視できない存在です。だからこそ、独り善がりにならない事が大事だと思います。常に思いやりを持って、「この表現を見て、他者はどう感じるだろうか」そこまで思いを寄せてこそ、プロに近づくのかなと思います。

努力なしに名声を求めない事

何を目的としているのか、それは人それぞれです。だからこそ、一般論として語れる事がとても少ないのです。
ただし、「有名になりたいから絵が上手くなりたい」「ちやほやされたい」という、ある種自己中心的な願いが念頭にあると、努力をすっとばした独り善がりな絵になりがちです。

大変残念な事ですが、所謂無断転載やらパクリ、剽窃行為はこのような心理から生まれているのではないかと私は思います。今こうしてネットが発達し、SNSが当たり前の時代になってくると、ビジュアルというインパクトのある表現で目立つ人達はアイドルか何かのように見えてしまうのかもしれません。ですがそれは絵という表現を突き詰めた結果(もしくは別の努力を突き詰めた結果)であって、その成果物に憧れたとしても、立場に憧れるべきではないのではないかと私は思います。

これも自論に過ぎませんが、結果とは行いの後についてくるものです。必要な努力もせずに「結果が得られるべき」と考えるのは健全でないと思います。先に述べたとおり、絵とはコミュニケーションの手段の一つです。
である以上他者が居て、評価するしないは他者に決定権があります。そこで評価と言う結果があるべきであると考えるのは他者の主体性を軽んじており、コミュニケーションとして成立しません。
また、名声を求めるあまり安易な手段に走ってしまうと、基礎がふらふらした状態ではりぼてのようなものが出来てしまって、少なくともプロという職からは遠ざかるだけでしょう。

終わりに

時々「絵の描き方を教えて欲しい」「コンセプトアーティストやイラストレーターになるには何が必要なのか教えて欲しい」と言った旨のご相談を頂きます。それ自体は、とても有難い事だと思っています。ただ、前者について言えば一般論しか申し上げられないですし、後者についても「どの会社のどういうコンセプトアーティストやイラストレーターになりたいのか」が漠然としていると、何とも言えないのです。また、守秘義務もあるので所属している会社については何も申し上げられません。

では一般論として何が言えるのか。私は独学の人間ですが、

「基礎を固める事=デッサンと模倣を重ねる事」
「目指したい方向性をしっかり見定めて、自分は何が好きなのか自覚する事」

だろうかと思います。基礎についての指標としては「藝大や著名な美大を受験できる程度にものの形を把握する力があること」だろうかと思っています。基礎があれば模倣が楽になります。好きなものが分かっていれば、それを模倣して血肉とする事が楽になります。そして好きなものの幅が広ければ広いほど、柔軟性は増していくでしょう。

絵を描く事は楽しい事ばかりではありません。もう努力できない、もう限界だ、と思う事だっていくらでもあります。そういう時でも「それを苦とも思わない」そういう人に、適性があるのではないかと、私は考えます。

あなたは何が好きですか。どういう絵を描いていきたいですか。

それを問う事から始めてみてください。長期的な目的を自ら決めて、それに応じて必要な表現とその手段を取り入れていって下さい。

あまり個別のご質問に答える事は難しいのですが、出来る限り言える事は言いたいと思います。今の実力が仮に今提示した条件に満たなかったとしても、どうかがっかりせずに、地道に頑張ってください。年齢はどうしても障壁になってしまうのが厳しい実情ですが、採用する側としてもその時々に必要なセクション、表に出ない必要な絵柄など、様々な事情が重なる事が大いにあります。

絵の道を目指している方の助けになる事はあまりできないかもしれませんが、影ながら、応援しています。  

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